入間市の文化財

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入間市の文化財

【市指定文化財(工芸品・昭和42年5月6日)】
東光寺は東金子小学校の近く(南側の坂を下ったところ)にある。
延宝2年(1674)小谷田村の領主であった旗本五味豊旨(とようじ)の家臣43名が前主君備前守豊直(びぜんのかみとよなお)の遺徳をしのんで、東光寺に奉納した梵鐘である。
高さ113.2センチメートル、直径51.5センチメートル、 周囲160センチメートルの立派な鐘である。

所在地:〒358-0026 埼玉県入間市小谷田1437

よみ:重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)/茶場後碑(ちゃじょうこうひ)
【市指定文化財(史跡)指定「重闢茶場碑」 昭和42年5月6日】
【追加指定及び名称変更「重闢茶場碑及び茶場後碑」 平成26年6月1日】

狭山丘陵の北麓にある出雲祝(いずもいわい)神社の境内奥に、狭山茶の「誕生」と「発展」の歴史を象徴する記念碑が2基並んで立っている。碑文の内容の歴史資料的価値に加え、両碑とも、当代一流の学者、書家、字彫職人が製作に当っており、石碑そのものの美術工芸的な価値も高い。
詳細は入間市ホームページ

所在地:埼玉県入間市宮寺1

【市指定文化財(考古資料・昭和56年4月20日)】
写真右から
釈迦一尊種子(しゃかいっそんしゅじ)板碑:観応2年(1351)1月24日銘
阿弥陀三尊(あみださんぞん)種子板碑:(注釈)寛元4年(1246)1月20日銘と推定
釈迦三尊種子板碑:宝徳4年(1452)4月24日銘
阿弥陀三尊種子板碑:建長2年(1250)7月29日銘
阿弥陀三尊種子板碑:文永5年(1268)12月6日銘
加治丘陵の北麓に位置する仏子地区は、村山党(平姓)金子氏一族の領地で、金子十郎家忠の弟・親範が館を構えたとされる。
高正寺は、親範により開創されたとされ、当初は金子坂の山中(武蔵野音大入口付近)にあったとされ、のちに現在地へ移転したとされる。
境内には、5基の板碑が並んでいる。
板碑とは、中世に作られた石造の卒塔婆で、板石塔婆ともいう。
石材は、緑泥石片岩(通称・青石)を用いている。

詳細は入間市ホームページ
所在地:埼玉県入間市仏子1511−4 高正寺内

よみ:けんちょうごねんめいいたび
【市指定文化財(考古資料・平成2年4月1日)】
板碑とは、中世に作られた石造の卒塔婆(そとば)で、板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。
石材は、緑泥石片岩(りょくでいせきへんがん)(通称・青石:あおいし)を用いている。
仏子から飯能市阿須に行く道を西に入った墓地に、阿弥陀三尊種子(あみださんぞんしゅじ)板碑がある。
高さ166センチメートルで、鎌倉時代建長5年(1253)12月7日銘があり、初期大型板碑の典型である。
市内では高正寺の板碑に次いで3番目に古い。
銘文から、「平高治(たいらのたかはる)」の供養のため造立された板碑である。
平姓は村山党の本姓であることから、高治は金子氏の一族である可能性が高い。
主尊の阿弥陀種子は縦40センチメートルもあり、脇侍(きょうじ)の観音・勢至種子に比べて大きいのが特色である。
また頭部の山形が鋭角で、同様の形式の板碑は同じ村山党に属する宮寺氏の館跡(現・西勝院墓地)にも見られる。

所在地:埼玉県入間市仏子239南

【市指定文化財(考古資料・平成2年4月1日)】
文明2年(1470)11月4日銘。
頂部の山形と二条線が欠損しているが、阿弥陀三尊種子(あみださんぞんしゅじ)が天蓋(てんがい)や、花瓶(けびょう)・香炉(こうろ)・燭台(しょくだい)の三具足(みつぐそく)で荘厳されており、市内で最も装飾的な板碑である。
写真と拓本、詳細な情報については入間市ホームページを参照。
脇侍(きょうじ)の観音・勢至種子は光明真言(こうみょうしんごん)の月輪(がちりん)で囲まれている。
外側には、月輪と蓮座で装飾した十仏種子(右側に大日如来(金剛)・薬師・地蔵・文珠(もんじゅ)・不動。左側に虚空蔵・阿閦(あしゅく)・弥勒(みろく)・普賢(ふげん)・釈迦)が二列に並んでいる(模式図)。
十三仏は、初七日から三十三回忌まで十三回の年忌法要を勤める時の本尊とする仏・菩薩である。

所在地:埼玉県入間市下藤沢980 不動院内

【市指定文化財(史跡・平成3年8月1日)】
この道祖神道標は、元は現在の位置より南西側の日光脇往還沿いにあったものである。
正面に「道祖神」、裏側に「享和二年(1802)」、側面に「川越道 」(右)と「日こう道」(左)の銘がそれぞれ刻まれた道標も兼ねた道祖神である。

所在地:埼玉県入間市豊岡1丁目13−1

【市指定文化財(史跡・平成3年8月1日)】
大きなデパートのうら、旧豊岡小学校跡地(あとち)の公園の小高いところにある。
この道標は造立年代は不明であるが日光脇往還の成立(江戸時代)以降であると推定される。
碑面には『阿ふぎ町屋(扇町屋)・八王うじ(八王子)・登こ路沢(所沢)』など現在もなじみある地名が記されている。
もともとは日光脇往還と秩父往還の交差するところ(現在の河原町交差点付近)に立てられたものと考えられる。

所在地:埼玉県入間市豊岡1丁目7 豊岡温故公園内

【市指定文化財(史跡・平成3年8月1日)】
茶どころ通り(旧青梅街道・きゅうおうめかいどう)沿いに建てられている。
山形四角柱(やまがたしかくちゅう)の道標を兼ねた供養塔(くようとう)で、寛政5年(1793)に中神の人々が村内の安全を祈って建てられたものである。
また、青梅と扇町屋宿への実距離が記されており、当時の交通を知る上でも貴重なものである。

所在地:埼玉県入間市中神

【市指定文化財(史跡・平成26年6月1日)】
地元で「山王塚」(さんのうづか)と呼ばれている場所に、庚申塔(こうしんとう)や馬頭観音塔(ばとうかんのんとう)等の石造物が12基まとまって立っている。
庚申塔類は、市内では57基が確認されているが、この場所にはそのうち7基がある。
造られた年代は、江戸時代の寛文年間から明和年間までで、なかでも寛文8年(1668)の紀年銘を刻む庚申塔は市内最古のもの。庚申塔は様々な型式のものが知られており、一箇所でいろいろな庚申塔を比較できる場所としても貴重である。
この場所は、「山王塚」の名が示しているとおり、以前は塚状に周囲より一段高くなり、木々が生い茂っていたため神聖な雰囲気を持っていた。また、村境に位置していたことから、野田村の人々は村の守りや交通の安全を祈念し、この地を特別な場所として造塔を行ったと考えられる。

所在地: 埼玉県入間市野田924

よみ:せんにちえこうみょうごうとう
【市指定文化財(有形民俗文化財・平成28年6月1日) 所在地 春日町二丁目9-1(蓮花院)】
阿弥陀如来の功徳をたたえる「南無阿弥陀仏」の六文字を刻んだ石造物を「名号塔」と呼ぶ。
蓮花院の境内に立つ延宝9年(1681)銘の石塔は、正面と左右側面の3面にそれぞれ「南無阿彌陀佛」の文字が刻まれており、市内で唯一の名号塔である。
形状は笠付角柱型の石塔で、寸法は高さ144センチメートル、幅35センチメートル、厚さ31センチメートルを測る。
この千日回向名号塔は、江戸時代前期における念仏信仰の様相を示すものであるとともに、当地域最古の石工名を刻んだものとして貴重な資料である。

詳細は入間市ホームページ
所在地:埼玉県入間市春日町2丁目9−1 蓮華院内

※画像をクリックすると3Dモデルを見ることができます。
スマートフォン・タブレットではAR(拡張現実)技術を使って、遺物を画面の中に表示することができます。

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